2014年6月28日土曜日

つかれたねむいもういやだ

SNSもなんかダルいし友達も少ないので愚痴を言う場もない。家庭や稽古場や飲みの場に愚痴や卑屈を持ち込まないようにしているから徹底的に僕の四方に愚痴を言う場はない。それで良いと思っているし不自由だと感じたこともない。半ば信仰に近いくらい僕は自分のそうした潔癖を疑っていない。むしろ礼儀だと思っているくらいで、だから他人に疑われるけど、家族は割とわかってくれてるだろうし、まあこれはこれで別に良い。

ただかつての僕には映画を観ることによって、唯一映画こそが逃げ場だったのかもしれない。映画は常に僕のそうしたちょっち内向的な問題を昇華してくれた。小学生の頃(ちなみに肥満児だった)僕の救いは金曜ロードショーでバックトゥザフューチャーのマーティーとドクに出会うことだったし、トータルリコールのシュワちゃんの火星の眼球飛び出しにトラウマ植え付けられることだった。アレックスプロヤスの「クロウ/飛翔伝説」の「火をつけろ!火をつけろ!」ていうシーンのモノマネはみんなに「なにそれ?」て言われたが自分しか知らぬという優越感と独占欲にほくそ笑んだ。

中学でヴィンセントギャロに出会った。
「バッファロー66」のクリスティーナリッチがボーリング場でキングクリムゾンのムーンチャイルドでタップシーン。←どうだいこの日本語。
アンドレイタルコフスキーもキューブリックもたぶんこの頃出会った。内容なんかよくわかっちゃいないのに満足だった。イケてるからだ。イケてるのは良い。そう、チャップリンもウディアレンも、当時の僕の目には壮大にイケて映った。ジャッキーチェン、、愛していた。

高校生になるともう見境なく貪った。絶倫の映画欲でゴダールに手を出したりフェリーニ、小津、黒澤、スコセッシ、シュヴァンクマイエル、園子温(自転車吐息)、森達也さん、やっぱりウディアレンキューブリックタルコフスキー、俳優はジェームスディーン、松田優作、ロバートレッドフォードを志していたのでブラピは若干霞んで見えた。

大学。コーエン兄弟の良さってよくわからなかったんだけど「バーンアフターリーディング」「ノーカントリー」あたり観てからやや前のめりで「ファーゴ」再見。ミヒャエルのハネケ様、キェシロフスキ、マッシモトロイージ合掌「イルポスティーノ」それでベルイマン「野いちご」「夢の中の人生」「第七の封印」。
「サンセット大通り」「天井桟敷の人々」は中学の頃寺山修司に出会う前に観ていたけど大学で本格的寺山修司に出会うようになって再見。でもなんといっても「市民ケーン」でしょ、と。「メトロポリス」ありがとう「戦艦ポチョムキン」てかエイゼンシュテインありがとう「カリガリ博士」ありがとう「大人はわかってくれない」「自転車泥棒」マルクス兄弟もモンティパイソンもごっつええ感じも、そうだジョンカーペンターを忘れちゃいけない「遊星からの物体X」ありがとう「ゼイリブ」もありがとうティムバートンに関しては「マーズアタック」と「エドウッド」にのみありがとうって思ってるよごめんそれだけで、、あとリュックベッソンは中学以来再見したけどリュックベッソンは、、、うん。ギリアム無論ありがとう、ああ!中学で「ゴッドファーザー」にありがとう言うの忘れてた祟られるそういえば園子温監督の「紀子の食卓」はえらく好きでした(最近話題の)ホドロフスキーDUNEをみなさん観に行きましょうそれから忘れちゃいないよウェスアンダーソンでも君のことすごい好きだけどそろそろ違う感じの映画撮ってくれない?もうなんか天才マックスの頃が懐かしいよポールトーマスアンダーソンありがとう!松本人志にズタボロに言われたっていいじゃない!君はすごくいいよポール!「オールドボーイ」ありがとうパクチャヌク!てかタランティーノを忘れてたタランティーノもありがとうねてか最近いいねキルビル以降吹っ切れたのかなブニュエルもありがとねクストリッツァもそれから淀川長治氏町山智浩氏中原昌也氏ありがとう

いろいろ大変なんだねって思われるのほんとつらい。
作家とか、げいじゅつとか、いろいろやってるんでしょ、いろいろ大変なんだね、って思われるの、ほんとつらい。あなたに比べて特別の大変さ僕が抱えてる、みたいないわれよう、まるで世界の大変さ僕が背負ってるみたいな言い方、いやいや、あなたの大変さだって僕の大変さだって平等にこの宇宙にとってなんら無価値なものですよ。だから悶えようが苦しもうが楽しもうが何だっていいじゃないか大人でいようと子供でいようと映画好きだろうが嫌いだろうが内向的だろうが外交的だろうが原発推進だろうが反原発だろうが何だっていい。これ自暴自棄や開き直りで言ってるんじゃなくてほんとに何だっていい。
誰かが知識のことを言うだろう。確かにそうだ知識はあるだけあった方が良いに決まってる。知識があれば自信を持って判断(発信)できるようになるからだ。ただ人間ひとりがこの地球上で抱えられる知識量など宇宙のもつ情報量の前では鼻くそ程度に過ぎず、つまり自信をもって判断したそれは「その程度」のものであるにもかかわらず自信をもって背比べ、したところでみんな最後は死んでしまう。だったら日々の生活、瑣末な経験に学び知恵を持って愚かな生を全うする方がずっと人生に対して実践的だ。いや、僕は知識を否定しない。むしろ知識を尊敬する。ただ知識を楯に何人もやっつけようとする(八代小学校の某先生、僕はあなたのことを覚えていますよ)ブルドーザーが苦手なだけだ。

そしてまたタチの悪いのが感性だ。感性を楯にやっつけようとしてくる。奴らの必殺技は一蹴だ。「ま、ぼくにはあわないけどね」だ。
大学の頃「山本くんの歩き方が嫌い」と人に言われたことがある。僕はどうしたらいいのだ。尚のこと嫌われてやろうとしばらくモンティパイソンのシリーウォークで登校したよ。

何だっていいじゃないか。何だっていい。論理なんかめちゃくちゃだが、僕は自暴自棄じゃない開き直ってるわけでもない。上記のブルドーザーだって、僕の歩き方が嫌いな人だって、全然、いい。
いいのだ。


今は映画を観ても、昔のような昇華は起こらない。なぜかはわからない。たぶん僕自身がつくる側になったからかもしれない。だから膿みみたいなのがたまる。毒素がたまる。もうたまってたまって自分でその毒に倒れそうになる。でもこの毒はたしかに何かを生み出すのに必要なものだ。だから映画なんか観て昇華させてたまるか。

「ただ、われわれは、めいめいが、めいめいの人生を、せいいっぱいに生きること、それをもってみずからだけの真実を悲しく誇り、いたわらねばならないだけだ。」坂口安吾「恋愛論」より

8月に坂口安吾の「堕落論」など一連の評論・エッセイ群を下敷きにした演劇をつくる(上の引用の「恋愛論」のエッセンスも入ってます)。

「インザマッド(ただし太陽の下)」

っていうタイトル。よかったら観に来てください(フィニッシュがみつかんないので最後は宣伝)
http://www.hanchu-yuei.com
僕みたいなやつがいたっていいようにあなたみたいなやつがいたっていい